備忘録としての生活記録

知識は無いけれど芸術が好きなコミュ障インキャ芋ブスヲタクの戯言

書き散らし

2020年2月2日(日)
Origamillio(n)佐藤兎水生誕『202020』
新宿club SCIENCE
開場15:10/開演15:30
前売2500円/当日3000円(1D代別)


Origamillio(n)
ぴゅーぴるモ!
nuance
なにぬねるん?
HAMIDASYSTEM
どうして友達がいないのか。
となりのぎょーざ


①夢うつつにキスをして
②黎明の貴方
③S
④down 
⑤傷の音
⑥存在しないぞんざいな愛


それが、彼女との出会いでした。


その日新宿に行った経緯は非常に複雑で、解散した推しグループの元メンバーが新グループを立ち上げて、比較的気になったメンバーがいたものの脱退し通わなくなっていたところ、そのメンバーがゲスト出演するということで、知っているグループも出るしとふらっと立ち寄った、というものでした。
私はもともと「アイドルを推す」というよりは「 可愛い女の子が自分好みのパフォーマンスをしているのを楽しく観る」というスタンスなので、当然新しい推しメンを見つけるなどという気は毛頭無く、タイテで HAMIDASYSTEMの文字を見た時も、一期がハマらなかったため特別な感情が生じるでもなく、ただフロアの後ろの方でステージをぼんやり眺めていました。


彼女のパフォーマンスは、全く予期せず、そんな私にあまりにも鋭く刺さりました。
衝撃的すぎて、どの曲がとか、どのフリでとか、正直憶えていません。
しかし、鬱になりそうな暗い楽曲、鬼が憑依したような見開かれた目、アイドルらしからぬ表情、力が入って震える指先。
焦点が彼女の一点に固定されて雑音や皮膚の感覚が消えたあの瞬間は、今でもありありと思い出せます。


興奮のままチェキを撮りに行くと、あの形相はどこへやら、騒がしい声が大きいよく笑う話しやすい女の子で、まんまとギャップにやられ、私はオタクに戻ってしまったのでした。


HAMIDASYSTEMの解散発表は、そんな出会いの直後でした。初めて推したグループも勇気を出して現場に行った直後にメンバー脱退があったので、正直悲しい悔しいというよりは、「またか…」 という気持ちでした。
当時某流行病の広まりはじめで、肺の悪い家族と実家暮らしをしていた私は足繁く現場には通えなかったこと、メンバー二人を中心とした新グループができると分かっていたことから、その時はあまりマイナスの感情は無かったと思います。


リリスリバースは、初めて最初から見守ったグループになりましたが、オンラインでのそのお披露目ライブの方がむしろ、HAMIDASYSTEM解散よりも虚無感を抱きました。リリスリバースはもちろん素敵なグループだし新メンバーも魅力的だったけれど、歌の被せや激しいダンス、アイドルらしい楽曲に、「HAMIDASYSTEMというグループはもう無いんだ」 という現実を突きつけられました。それでもやっぱり彼女のパフォーマンスは圧倒的で、妹や家族にも「これが私の好きなアイドルなの!凄いでしょ!」 と自慢しまくりました笑笑


彼女は、知れば知るほど、パフォーマンスだけでなくアイドルとしての考え方、人としての生き方が素敵な女の子でした。ライバルの少ない時間だからと本人は夜型なのに毎朝配信をしたり 、尊敬できるアイドル像アーティスト像がはっきりしていたり、個人的にレッスンをしたり、毎ステージ表現を変えたり、演者であり続けたいと語ったり事あるごとに夢を口にしたり、彼女のパフォーマーとしての情熱は人一倍だったと思います。もちろん、どんなに素晴らしい演者でも、一人の若い女の子で人間だから、少し天然だったり、頑張りすぎて視野が狭くなってしまったりして、小さな言葉や行動の選び方を間違えて勘違いされてしまったこともあったと思います。本人の真意はわかりませんが、中には擁護できないような間違いに思えるものもありました。でも彼女のパフォーマンスは唯一無二だったし、彼女の今までの言葉や誠実さに嘘はなかったと、私はずっと思っています。だから、私はそんな瑣末なことで、アイドル界でずば抜けた才能がある彼女のキャリアが傷ついたことの方が悔しかったのを憶えています。


でも、やっぱりそれ以降現場で会えなくなってしまうオタクがいたり、色々な人に馬鹿にされたりネタにされたりすることが増えて、一オタクの分際で馬鹿みたいですが、その一つ一つに傷ついてしまって苦しくて、私のオタクとしての分岐点は、そこだったと思います。
一番は彼女のパフォーマンスだったから、オタクとしてではなく一観客として通うこともできたし、もう十分楽しませてもらったと離れることもできました。
それでも結局彼女が大好きで離れられなくて、これを乗り越えたからもうどんなことがあっても彼女のオタクでいるんだろうなと思っていました。私はDDなので余程ハマらない限りbioにはどのアイドルの名前も書かないと決めていたのですが、一時期彼女の名前だけを載せるぐらいに、本当に特別でした。


でも、それが少しずつ裏目に出てしまっていたのだと思います。
私は、現在進行形で進化するグループに「あの頃の方が良かった」と言うのはナンセンスだと思っていますが、やはり人間なので心の中に好み好みじゃないという感情はあります 。
どんな曲でも彼女のパフォーマンスは圧倒的だったけれど、やっぱり私は明るい曲や今風のピアノロックは好みではなかったし 、理想の押し付けなのは承知の上で一生懸命活動をしていると思っていたメンバーに嘘があったり、ずっと信頼していたメンバーがグループに見切りを付けてしまったり、色々なものが積み重なって、何かがあったということではなく、彼女へのオタクとしての熱量がぷつんと切れてしまったのだと思います。


結局私はその後、一観客として彼女のところに通うという選択をしました。オタクでいることに疲れてしまいました。悲しい気持ちを忘れられないまま、パフォーマンスだけでアイドルを推すことができなくなってしまいました。
bioから彼女の名前を消した時、アイドルとしてタイプで楽しいという感情だけで接することができる新メンバーの名前をbioに入れた時、思い上がりかもしれないけれど、きっと貴女を傷つけてしまったよね。ごめんね。


2023年5月24日、お知らせを見た時、私は私がきっかけでリリスリバースの、彼女のオタクになってくれた妹と一緒にいました。
妹はすぐに涙目になって、「予感はしていたけれど、受け入れられない」と言っていました。私は、全く寝耳に水でした。本気で、彼女は永遠にステージに立ち続けるだろうと思い込んでいました。
泣きもしませんでした。よくあるお知らせの言葉とURLだけのツイートとは異なる、リンクに飛ばなくても解散がわかるツイートやメンバーの気持ちを noteで語らせる選択に、やっぱり私はこの事務所を嫌いになれないなあなどとぼんやりと思いました。きっとこの差が、アイドルオタクか一観客なのかの違いなのだろうと思います。


解散と退所の発表後、私はまだリリスリバースのライブに行っていません。
多分ステージを観て彼女と話したら、もっと感情的になって、盲目なオタクに戻って、今感じている気持ちが消えてしまうと思ったので、支離滅裂に書き散らしました。


いずれにしても、あと少しだけ、私の人生において特別な女の子の一人を追いかけます。
最後の日まで、よろしくね。

MOMASコレクション第2期:埼玉県立近代美術館:~2020/10/18

 MOMASコレクション第2期:埼玉県立近代美術館

に行って参りました。

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 埼玉県立近代美術館では、コレクションを企画として公開しており、今期のテーマは「異界/異形のコスモロジー」ということで、空いた時間で伺ってみました。

 お値段一般200円で規模も大きすぎないため、とても手軽に鑑賞が出来ます。

 また、来場者カードの記入や検温などの感染症対策も成されていました。

 

 ちなみに、展示室の手前で、こんな子がお出迎えしてくれます。

 お名前は『ムチ打ち症のサーカス熊』というそうですが、なかなか可愛らしいですよね…!

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1.セレクション

 1つ目のテーマは、有名作品・埼玉県に縁のある作家による作品を集めた企画となっています。今回は、作品の対象として性をどうとらえるか、という現代的なテーマを掲げており、男性から見た女性・男性から見た男性という視点で作品が展示されていました。特に印象的だった作品をいくつかご紹介します。

 まずはブロンズ像である、オーギュスト・ロダンの『ウスタッシュ・ド・サン=ピエールの頭像』です。こちら、解説によると、旅立ちを目前にした軍人の悲壮感溢れる像だということですが、私にはそれだけでなく、確固とした意志や強さのようなものも感じられ、その何とも複雑な表情がとても印象的でした。

 セレクション内で最も印象的だったのは、何と言ってもジョルジュ・ルオーの『横向きのピエロ』です。見れば見るほど吸い込まれていくような、荒く深い色使いはいくら見ていても飽きません。単純に、好きな作家の一人です。

 次に、関根将雄氏『瓦職』です。こちらは、先の叙述に当てはめるならば「男性から見た男性」となり、解説によると、作者の容姿は貧相な方だったため一種の憧れを持って筋骨隆々の労働者を描いたのではないか、とのことでした。確かに、作品は生々しいところは無く、画材もきらきらしていて、非常に純粋な眼差しが見えるような気がしました。

 最後に、寺井力三郎氏『出発』です。一見、非常にシンプルな作品なのですが、淡くゆったりとした動きが感じられる色味や、何となく濁った雰囲気が印象的でした。近くで見ると境界が――曖昧な訳ではないのですが――ふわふわしており、その描写方法によるものなのかもしれません。

 

2.異界/異形のコスモロジー

 さて、とうとうお目当ての企画です!

 いくつか、特に印象的だった作品をご紹介します。

 一発目に何とポール・テルヴォ―の『森』。筆者は、どの作品にも宗教画のような神聖さがあり、温度が無く、それ故に童話の一頁のような世界を作り出している彼の作品がとても好きです。本作も、本来そこには存在し得ない筈の様々な要素が合わさりファンタジックな世界を作り出しています。作品には、彼が幼少時から好んでいたという汽車や、ミューズとしての女性が描かれていますが、作者にとって好意的なモチーフが描かれている絵の温かさは本当に素敵だと思います。これは単純に好みの問題なのですが、ダリのように嫌悪の対象を描くタイプの作品は、当然気持ち悪い印象を抱いてしまい少し苦手です。

 その点でも、堀田操氏の作品がとても好みでした!深海を描いた『対話』などは、一見、ダリを彷彿させる力強さのあるタッチで、生々しい生き物も描写されておりますが、本人の海に対する想いからか、気持ち悪さなど全くなく、つい見入ってしまう深く穏やかな作品でした。

  日和崎尊夫氏の版画作品もついつい見入ってしまいました。大変微細で、少し毒を感じますが、作品としてはとても穏やかな印象で、何となくルドンを思い出しました。

 本展には、あの草間彌生氏の作品もあります。原色と水玉、という雰囲気の彼女の作品はあまり好きではないのですが、彼女のニューヨーク時代の作品等初期の作品は結構好きです。今回の展示作も比較的初期の頃の作品で、最初期の「本当に目の前にあるものを描いている」頃から今のような鮮やかさに以降する中間の作品、という印象で、とても素敵な作品でした。

 出店久夫氏の作品も圧巻でした。作品自体が大きい事もその要因なのですが、人間味を感じさせず高みから笑われているような作風が印象的でした。また、一つ一つのモチーフや淡い色使いがとても可愛らしかったです。

 展示室の中央には、吉野辰海氏の『双頭狗』があります。2本足で立ち、骨を感じさせるほどやせ細った双頭の犬が身体をくねらせるその姿は、リアルだからこそ気味が悪いと同時に、本展の軸であったように思われます。

 

 今回紹介しきれなかった作品も含め、全体的に大変私好みの展示でした。まだ会期終了前ですので、興味のある方は気軽に訪れてみてはいかがでしょうか。

 

おまけ

 グッズ売り場に、可愛いガチャガチャがあったのでついついやってきてしまいました!

 渡辺おさむ氏の『石膏スイーツミュージアム』です。

 私はメディチが出たのですが、この子、もともと眉間に灰色の斑点があって、それが西洋風のお顔なのにインドっぽくてさらに頭にイチゴだし――というカオスさを増長していて最高です。

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ーー2020/09/22

 

 

「MOMASコレクション第2期」
 場所:埼玉県立近代美術館
 会期:2020/07/18(土)~2020/10/18(日)

pref.spec.ed.jp

 

 

 

暇なのでチェッカーズについて語ってみる

  掲題の通りなのですが、初めて好きになった男性アイドル・チェッカーズについて、好きになる契機となったその楽曲について、少し綴ってみようと思います。チェッカーズは私の産まれる前に解散しており、ソースはネットや掲示板、感覚です。当時を知らない人間のただの戯言です。

 

  私がチェッカーズの曲を初めて聴いたのは、図書館で借りた『青春歌年鑑80年代総集編』の、「ジュリアに傷心」でした。当然、彼らのビジュアルもメンバーの名前さえもよく知らず、完全に曲のファンになっただけでした。耳残りの良いメロディと、ボリュームのあるコーラスに惚れ、やはり図書館で『COMPLETE THE CHECKERS 〜all singles collection』と『all ballads selection』を借りました。ベストは2枚組で、主に1枚目は芹沢さん&売野さん時代の初期、2枚目は自作曲時代(後期彼らが曲を自作していたこと、初期も多くのカップリング曲を自作していたことは後から知りました)の楽曲、という構成でした。当初2枚目は何となく耳に残らず、1枚目ばかりを聴いて、特に「あの娘とスキャンダル」と「星屑のステージ」がお気に入りでした。バラードセレクションについては、殆ど後期の自作曲で構成されていたのですが、借りたものの聴き返すことはありませんでした。

  ところがある日、久々にアルバムの2枚目を聴いてみると、なんか2枚目の方が色んな色の曲があって格好良いじゃん!となり、バラードセレクションも物凄くお洒落な曲ばかりじゃん!となったんですね。

  で、調べてみるとなんとアルバム2枚目は全部メンバーが作っている。さらにメンバーみんな楽器演奏をしている。徳永さんのドラムが物凄く格好良い。大土井さんはイケメン。郁弥さんは芸術センスが半端ない。鶴久さんは一人だけ行動がおかしい。みなおかチェッカーズシリーズは滅茶苦茶面白い。チェッカーズって最強の男性アイドルなのでは……という感じで深みにはまって行きました。

  さて、前置きが長くなりましたが、以下では、私がチェッカーズを好きになった理由の大部分を占める彼らの楽曲の魅力について語ってみようと思います。

 

◾︎芹沢さん&売野さん&康さん時代の素晴らしさ

  チェッカーズのメンバーは自分たちの音楽がやりたくて独立しましたが、私にチェッカーズにはまる契機を与えてくれたのは紛れもなくこのお三方であり、初期にも素敵な曲が沢山あります。「ギザギザハートの子守歌」を始め、力強く歪みのないメロディーや語りかけるような等身大の歌詞は、違和感無くすんなりと受け入れられます。有名なシングル表題曲だけでなく、「ムーンライト・レビュー50s′」や「LADY-M.をさがせ」などのアルバム収録曲も、王道ではないもののどんな人にも受け入れやすい楽曲であるように思います。個人的にもとても好きです。

  私は、このお三方の曲に、さらに良いスパイスを与えたのは、尚之さんのサックスと、高杢さん&鶴久さんのコーラスだと思います。前者については、当時のアイドルシーンでは少し珍しかったのではないかと思いますし、何よりも哀愁漂う尚之さんのサックスはある意味単調な楽曲たちに艶を与えているように感じます。私は楽才が無いので上手い下手は分かりませんが、音に色を与えられるのは才能なのだと思います。後者については、コーラスが入ることで、80年代のポップスにGSが混ざったような新鮮味が生まれているように思うのです。だからこそ、ライブや収録でコーラスが小さいと物足りない。

  初期は、馴染みやすい楽曲と他のアイドルには無いスパイス、そして、記述しませんでしたが、カップリングやアルバムに時々入る自作曲というバランスが、ミーハーなファンたちと、後にコアなファンになる方たちの双方を引き付けたのだと思います。

 

◾︎自作の楽曲の素晴らしさ

  チェッカーズの作る曲の素晴らしさは大きく2点で、1つはあまりにも仮面の多い郁弥さんの歌詞、2つはあまりにも雰囲気の異なる曲を作る4人のメンバーだと思います。

  前者について、「PARTY EVERYDAY」や「WのCherryBoys」のようにユーモアのある歌詞もあれば、「危険なNO.5」や「Gipsy Dance」のようにエロティックな歌詞もある。「眠れるように」や「Room」のように甘い歌詞もあれば、「100Vのペンギン」や「World War Ⅲの報道ミス」のように社会的な香りの漂う歌詞もある。どれも曖昧さが無く世界が完成しているのが好きです。紛れもなく郁弥さんはとんでもない才能を持っていて、この才能が無ければ、作詞家が1人しかいないチェッカーズは持たなかったと思います。郁弥さんは、グループに自分しか作詞家がいないことで、とても苦労されたんだろうなあとも思います。

  一方チェッカーズには、作曲家が4人もいました。凄いのは、同じグループなのにみんなバラバラの方向性の曲を作ること。

  まずリーダーの武内さん。多分1番ロックでバンドらしい音を作っていたのは彼だと思います。いつも海外の最先端の音を探していた、とインタビューか何かで見たように思いますが、確かに「Hello」や「TOKIO KONECTION」、「Smiling like children」のように、歌謡曲から遠い、洋楽にありそうな楽曲が多い気がします。武内さんが得意とする16分のリズムとカッティングギターがそう感じさせるのかもしれません。そしてやはりチェッカーズのリーダーに相応しく、「ONE NIGHT GIGOLO」を代表とし、チェッカーズのイメージによく似合うチャラく格好良い感じの楽曲が多いように思います。

  尚之さんは、クラシカルな曲が多いように感じます。「Blue Moon Stone」や「QUATRE SAISON」など、お洒落な曲が多く、音楽的なセンスが1番あったのは彼じゃないかと思います。 また、郁弥さんが何かの記事で言っていたようなのですが、尚之さんは同じメロでも1番と2番で微妙に変えてくるそうで、音楽家としてのこだわりも感じられます。鶴久さん曰く、鶴久さんはオーディションに何十も持ってきてやっと1曲認められる一方、尚之さんは1曲や2曲の持ち込みで合格する才能を持っていたそうです。彼の曲は、1発聴いてしっくり来る曲よりも、何回も聴いてじわじわと良さが分かる曲の方が多いように感じます。だからこそ、彼の曲が多いバラードセレクションの良さが分かるまでに時間がかかったのだと思います。(こちら、ファンの投票で収録曲が決まる企画で、送る会の騒動直後のためアブラーズファンが奮闘した故の曲目なのだそうです。掲示板情報ですが。)

  鶴久さんは、後期チェッカーズを唯一大衆に寄せることのできた貴重な存在だと思います。彼は当時の流行歌や好みの曲を参考に(本人曰くパクって、と言っても言われてみれば…程度ですが)曲を作っていたそうですが、曲を流行に寄せられるのも紛れもなく才能であり、彼の作る何処かで聞いたようなキャッチーなメロディーが無ければ、チェッカーズは違う進み方をしていたように感じます。ただ、その分彼の曲はチェッカーズ全体から見ると浮いています。(鶴久さん本人も、他のメンバーから少し浮いていたような印象を受けます。他のメンバーにどこかしら不良っぽさがある一方、鶴久さんは普通の人っぽくて、なんだかチェッカーズらしく無いように見えます。)鶴久さんの楽曲は、リーダーを先頭に最先端の音楽を求めていたチェッカーズの音と比べると新しさはあまり無いし、尚之さんの音楽性と比べると少し陳腐です。しかし、「夜明けのブレス」や「ミセスマーメイド」、「Jim & Janeの伝説」を始め、チェッカーズファン以外の人を惹きつけたのは彼の曲だと思います。

  最後に大土井さんですが、彼の曲はチェッカーズにとって1番の変化球だと思います。「ガチョウの物語」「あの娘とマッシュポテト」「ACID RAIN」など、普通の歌謡曲・ポップスという枠から見ると斜め上すぎて、しかしちゃんと理解できる楽曲です。大土井さんの曲で1番有名なのは「I love you, SAYONARA」かと思いますが、これにしたって、サビでぐいっと立ち止まらせるリズムは王道Jポップとは言い難いように感じます。彼の楽曲こそ、後期チェッカーズのスパイスだと思います。

  

  本当は、メンバーのこととか、ライブ演出のこととか、まだまだ語りたいことはあるのですが、もう既にかなりの長文になっているのでこの辺にしておこうと思います。

  今思えば、私が初めてチェッカーズを見たのは、送る会の騒動で、当時の報道はぼんやりと憶えています。その時はこんなにはまるとは思いませんでしたが。

  7人のチェッカーズはもう見られないからとメンバーのソロコンサートやイベントにも行きましたが、それはそれで楽しかったけれど、私が好きなのはそれぞれのメンバーではなくチェッカーズなんだなあと実感しました。

  正直時々、チェッカーズが解散していなければ、とか、30年前に産まれていれば、とか思います。彼らの残した音楽は今でも聞けるけれど、当時の空気を知れないのは、少し寂しいです。

 

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ーー2020/03/25 

映画『アメリカン・アニマルズ』:早稲田松竹:~2019/09/27

 映画『アメリカン・アニマルズ』:早稲田松竹

観てきました。

 近頃元気が無く、美術展になかなか行けずにいたのですが、映画は気軽に行けるから良いですね。

 さて、以下ネタバレになります。

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 初めての早稲田松竹さん。とても座りやすい椅子で快適でした。また、本編前の注意喚起映像がとっても可愛らしかったです。

 

 あらすじは下記でご覧いただければと存じますので、本ブログは簡単な感想を。

 

www.phantom-film.com

 

 パンフレットにも繰り返し示されていたように、この映画をを一言で表すなら「混合(ハイブリッド)」でしょう。外見は「ドラマとドキュメンタリーの融合」、そして内面は「真実と虚構の融合」。所々に出てくる本人の語り。ストーリーが進むにつれ、本人たちの顔つきもどんどん神妙になっていくのには、ぐっとくるものがありました。また、最後のシーンでウォーレンが虚構を語っていたのかもしれないと気づかされるシーンもとても印象的でした。監督はパンフレットで「物語をフィクション化することに興味があった」と語っていますが、主人公たちについて語る大人たち、主人公各々の証言、観客が目の前でみている映像、真実は垣間見えているのに、誰も真実はわからず、残るのは結局フィクションになってしまう。

 大学生は「モラトリアム」とも言いますが、全てを無邪気に楽しめる歳ではなくなり、現実に則った生き方を主体的に選ばなければならない歳になった大学生の彼らは、しかし大人になりきれず、きっと自分のもとには特別な何かが起こり、自分は特別な輝かしい人生を歩むのだろう、と期待します。そして彼らは子供ではないから、その為には行動が必要だと気付く。

 確かに、普通と違うことを画策する彼らは生き生きとしていました。しかし、彼らの計画は失敗する。それも、彼らが良くも悪くも普通の人間だったために。目の前の人間を傷付けてしまうことを恐れ、自分の犯罪という事実に怯え、不安から仲間に怒鳴り散らす。とても人間臭い。私は、彼らが彼らである限り、きっといくら周到に犯罪計画を立てても、犯罪を成功させられないんだろうな、と感じます。

 最後、司書のBJは「彼らは楽しようとしたから失敗した」と語ります。確かに、犯罪に手を染めなければ、彼らはまっとうに生きながら特別な人間になれたかもしれない。実際、チャズはすでに特別な人生を歩んでいた。しかし、もし彼らがこのまま普通に生きていったら、序盤にウォーレンが言った様に、「あの時(盗みを)やっていれば良かった」と、冗談半分で思う瞬間が訪れるんだろうな、とも思います。ウォーレンが、オランダに行き、バイヤーと面会したと語るのは、また、スペンサーがその証拠が無いと言いながらそれを否定しないのは、今でも「特別」を期待している証なのだろうと感じます。

 最後に、映像も音楽もとても素敵で可愛かったです。そこも、ドキュメンタリーに作り話の要素を加えていたように思います。

 

 とても面白い映画でした。

 

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 パンフレットもとてもお洒落でした。

 

 

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ーー2019/09/23

 

アメリカン・アニマルズ』
 場所:早稲田松竹
 機関:2019/09/021(土)~2019/09/27(金)

笠井叡 迷宮ダンス公演「高丘親王航海記」

 少し前の話になりますが……

 笠井叡 迷宮ダンス公演「高丘親王航海記」:世田谷パブリックシアター

に行って参りました。(2019/01/24)

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 筆者はダンスに詳しい訳ではなく、恐れ入りながら笠井叡氏の名も存じ上げなかったのですが、最近澁澤龍彦氏について学ぶ機会があり、澁澤氏の世界をダンスで――!?という単純な興味から公演『高丘親王航海記』を観劇するに至りました。……とは言うものの、澁澤氏に詳しい訳でもなく、彼の著作は『少女コレクション序説』と、あくまで表現に関する学習の一環として『悪徳の栄え』の一部を読んだ程度の知識しかありません。当然『高丘親王航海記』も読んだことはありませんでした。今回の観劇にあたっては、「ダンス」という表現そのものを楽しみたく、敢えて原作は読了せずに観劇し、その後舞台を振り返る手段として、原作『高丘親王航海記』に一通り目を通しました。当ブログでは、ダンス公演『高丘親王航海記』の感想を中心に、澁澤龍彦氏自身の『高丘親王航海記』にも少し触れながら、公演を振り返っていきたいと思います。ネタバレの要素もありますので、ご注意ください。

 

プロローグ

 会場には、開演前のみ物販コーナーもあり、関連書籍や、本作の演出も手掛けられた榎本了壱氏による『高丘親王航海記』の画集等がありました。

 客席までの踊り場には、榎本氏の現物のイラストも……!どこか原始的な雰囲気を漂わせながらも繊細な色合いの作品は、とても魅力的でした。

 ホールに入ると、広々とした舞台にするために客席を数列分潰しており、予想以上の近さで作品を観劇することが出来ました。また、世田谷パブリックシアターの客席は、段差はあまり無いのですが、前後がずらされているためにどの席からもしっかりと舞台を見ることができます。また、ホール内は、公演中休演中に関わらず電波が届かない仕組みになっていました。

本編

 開演時間が近付くと、舞台上で役者さん達が準備を始めます。舞台に幕は無く、スタッフの掛け声で上演が始まるのが印象的でした。

 全体を通して要所要所で物語を伝える優しい声のナレーショが入ります。その声は心地よいのですが、聞きなれない言葉遣いの原作の地文をそのまま引用しているためか、注意深く聞かないと聞き漏らしてしまいます。

 また、役者さん達は、白塗りとまではいかないものの、薄い白化粧をしており、確かに生身の人間なのですが、どことなく亡霊のようなイメージを抱きました。役者さん達は皆裸足で、彼らの激しい動きや静かな動きに合わせて足音の聞こえ方が異なるのは、とても面白いと感じました。

 

1、儒艮 JUGON

 何よりも感じたのは、儒艮の衣装の気味悪さです。役者さんは、白い全身スーツを纏い、つやつやとした素材の儒艮の人形が、その肩から頭にかけて、蜷局を巻くように纏わりついています。そのほんのりピンクを帯びた儒艮が、なんとも艶めかしく、非常に気味悪く感じました。澁澤氏の『高丘親王航海記』『真珠』の章に、春丸が儒艮を「人間に似ているら怖い」と評する場面がありますが、筆者が抱いたのは、この春丸と同様の印象なのかもしれません。

 

2、蘭房 RANBO

 蘭房の場面では、冷たい、風鈴ともトライアングルともしれぬ金属音が鳴り響きます。その音が、我々をより深い夢の世界へと誘います。色とりどりの服を身に纏った単孔の女達が、ディスプレイのマネキンのように、無機質に動きポーズをとる姿は、非常に美しく、息をするのも忘れて見入ってしまいました。原作では、単孔の女達のシーンはさほど長くないのですが、舞台では、筆者自らが蘭房に閉じ込められ永く永く女達を見ているかのような錯覚に陥りました。また、親王が、宝箱を開けるようにそっと房室の扉を開閉する動作も印象に残っています。

 

3、漠園 BAKUEN

 この章までは、幻想的な色味が強く、猥雑な印象は全く無かったのですが、この章では大きな陰茎を振りながら踊る獏と、共に踊るパリタヤ・パタタ姫のシーンが出てきます。気持ち悪い、と言うよりも、前衛芸術を目にしたような、漫画で台詞の無い大きな一コマを見たような、圧倒的な衝撃と、喉元を締め付けられたような感覚を覚えました。一方で原作でのこのシーンは、もっとねっとりとした描き方をされており、その違いも興味深いです。

 

4、蜜人 MITSUJIN

 砂漠を背景に横たわる、白い全身スーツに身を包んだ人々。それらがむっくりと起き上がってきた時に、複数の頭を持っていたり、複数の手足を持っていたり、複数の目を持っていたりといった、醜い「蜜人」の姿が露わになっていく演出は鳥肌が立ちました。役者さん達はそれらを振り回しながら踊るのですが、役者さん達がぴたっと静止しても、それらの腕や足がぶるんっと動きの名残を見せる様子は、気味の悪いものでした。

 

(中間部)

 ここで、不思議な世界観が立ち現れます。パンフレットには、「天国と地獄の入れ替わったような世界」と記されています。『蜜人』の最後、親王空海和尚の蜜人に出会い、航海の旅における一つの山を迎えます。この後の『鏡湖』の章では、親王は初めて自らの死を悟ります。この中間部は、この反転を表しているのかもしれません。

 背後のスクリーンには、ヒエロニムス・ボスの作品が映し出され、それまでに登場した人物や動物達が、雑多なダンスを踊ります。まるでダダの集いを見ているかのような自由な乱舞です。親王はサングラスを掛けパイプを咥え、客席や舞台淵を駆使して踊ったり、寛いだりします。藤原薬子は、頭の狂ったように滅茶苦茶なダンスを踊ります。

 

5、鏡湖 KYOKO

 春丸と秋丸の、少女らしいバレエのようなデュエットが、とても可憐だったのが印象的でした。秋丸は、親王達以外には少女であることを隠しているため、あまり女性らしい振る舞いは多くなかったのですが、この場面は秋丸が最も秋丸らしい場面であったように思います。

 また、親王とそのドッペルゲンガーによる鏡合わせのダンスも、親王が不思議そうにドッペルゲンガーを眺め踊る様子が可愛らしく印象的でした。

 

6、真珠 SHINJU

 一年以内に死ぬ人物を映さない『鏡湖』と、美しいからこそ災いを孕む『真珠』。特にこの章から、親王はひしひしと近づく死の存在を意識します。

 布を用いて波を表したダンスと、扇子を用いた親王のダンスが特に印象的でした。

 また、航海天体士カマルのシーンは、カマルの口調故かとても童話の要素が強い印象を受けました。

 

7、頻伽 BINGA

 他の章よりも照明を落とした舞台で、親王が瞑想するように静かに座っています。そこに、舞台の下手から、ゆっくりゆっくり、噛み締めるように、ぼんやりと光る、幽玄で巨大な虎が近付いてきます。袖から広がる煙が、親王を隠したり現したりしています。はじめ、虎は親王に構うことなく上手へ捌けていきます。虎は、今度は上手から、やはりゆっくりと親王に近付き、虎は、舞台上をぐるぐると往復します。そしてある時、親王は、まるで木彫りの大仏が倒れるように、座禅をしたままことりと倒れます。その親王の上を、虎は数度往復します。まるで、親王を少しずつ食べていくように――。いつのまにか、親王の姿は消え、大きな光る虎が、またゆっくりと去っていきます。

 この場面が、親王の死としての意味に留まらず、どの章よりも夢のようで、重たく息苦しかった気がします。息もできない程美しく苦しいシーンは、その時の張りつめた空気感とともに、今でもありありと思い出せます。筆者は、公演でのこの最後のシーンを美しいものとして認識していたのですが、原作では、親王の従者達が、遺った親王の骨を集める残忍なシーンがあり、その違いも興味深いと感じました。

 

エピローグ

 大きな船や虎といった立派な舞台装置も勿論ありましたが、全体としてはシンプルな舞台構成になっていて、よりダンスの動きが際立っていたように思いました。そのうえ、どのシーンを切り取っても絵になる洗練さを備えていました。

 役者さん達が裸足であることはすでに述べましたが、一つ一つの足音や息遣いが聞こえる程の緊張感はとても心地よかったです。

 また、役者さん達の化粧や衣装が、史実を題材にしている故の古風さを備えていながら、現実味の無い、少しファンタジックなデザインになっているのも素敵でした。

 

 最後に、本公演における、笠井叡氏のインタビューを見つけたので、参考に掲載させていただきます。

dancedition.com

spice.eplus.jp

 


takaokashinnoukoukaiki.com

※リンクに関する記載が無かったため、無断でホームページを添付しております。問題がある場合は直ちに削除しますので、お申しつけくださいませ。

 

『備忘録としての生活記録』著作権について - 備忘録としての生活記録

 

 

<参考>

澁澤龍彦全集22』「高丘親王航海記」(澁澤龍彦著、1995年3月12日株式会社川出書房発行)

 

 

ーー2019/03/11

 

 

笠井叡 迷宮ダンス公演「高丘親王航海記」
 場所:世田谷パブリックシアター
 会期:京都公演―1月11日(19:00~)
                               1月12日(15:00~)
     東京公演ー1月24日(19:30~)
                           1月25日(19:30~)
                                  1月26日(15:00~)
             1月27日(15:00~)

綿引明浩展 ⅡVento ~風の王国~:~2019/02/27

 綿引明浩個展「Ⅱ Vento ~光の王国~」:Box Gallery

に行って参りました。

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 こちらの個展は、本日の夜中に投稿致しました

アリス幻想綺譚2019 アリスとファンタジーの普遍的概念:~2019/02/27 - 備忘録としての生活記録

と同じBunkamuraの、Box Galleryで開催されています。Bunkamura Galleryのすぐ隣です。筆者は、この時まで、綿引明浩さんの存在を寡聞にして存じ上げなかったのですが、鮮やかで絵本のような楽し気な雰囲気に惹かれ、お邪魔しました。

 

 綿引さんの公式ホームページによると、綿引さんは「クリアグラフ」という、透明アクリル板の裏面から絵を描くオリジナル絵画技法を開発され、作品に取り入れているそうです。鮮やかでポップな色遣いに関わらず、激しさが無く目に馴染みやすい作品の雰囲気は、このような技法による作品の透明感に起因しそうです。また、このクリアグラフですが、綿引さんは頻繁にワークショップを開催されているそうで、誰でも気軽に学ぶことができるみたいです。

 本展の展示は、基本的は、クリアグラフによる絵画作品ですが、それを立体化したものや映像作品等、一人の作家様の個展であるにも関わらず、多様な展示でとても充実していました。筆者は、特に映像作品が印象に残りました。綿引さんのクリアグラフによる額の中央に小さな液晶がはめ込まれており、そこに、綿引さんの平面作品が、動きを持った映像として登場します。1分程度の映像が10本程あるのですが、映像にはBGMもついており、すっかり見入ってしまいました。

 

  本展では、展示のキービジュアルにもなっている、気球に乗った登場人物達が様々な世界を旅します。

 綿引さんの描く人物は、基本的に顔は無く、単色で表される人型にすぎません。しかし、どの人物にも動きがあり、楽しい雰囲気や、少しの滑稽さを放っています。時には、その頭部が、本や林檎等にすり替わっていることもあります。描かれる動物も魅力的で、筆者は特に、「豚になった像」(正式なタイトルは忘れてしまいました……)の作品が可愛らしくてお気に入りです。

 また、様々な美術史上の作品をオマージュした作品が多いのも、筆者ら美術好きを刺激します。ブリューゲル、ルソー、マグリット、……。先日ヨーロッパで『バベルの塔』や『光の帝国』を見た筆者は、一段と楽しむことが出来ました。オマージュの再現度も並外れており、確かにクリアグラフで、登場人物も綿引さん独自のデフォルメがされているのですが、細部のタッチが本家そのもの。鑑賞者まで、気球に乗って絵画世界を旅しているような気分に浸ることができます。また、『さまよえる画人』のように、美術史上の絵画作品を持ち歩く人物のデザインも魅力的でした。

 

 こちらの展示にも物販があり、綿引さんの作品を購入することができるので、是非チェックしてみていただければと思います。

 なんと、こちらの展示も本日までです……!

 

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――2019/02/27

 

 

「綿引明浩展 ⅡVento ~風の王国~」
 場所:Bunkamura Gallery 、Box Gallery
 会期:2019/02/15(金)~2019/02/27(水)

 

cast-studio.jp

※リンクに関する記載が見当たらなかったため、無断でリンクを貼らせていただきました。問題があれば直ちに削除致します。

 

アリス幻想綺譚2019 アリスとファンタジーの普遍的概念:~2019/02/27

 アリス幻想綺譚2019 アリスとファンタジーの普遍的概念:Bunkamura Gallery

に行って参りました。

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 「アリス自身の持つ永遠の少女性(「アリス」と言う名称から想像・連想し得る観念的なアイコン)と同時に、少女とファンタジーから成り立つ普遍的な共有概念も視野に入れた世界観をテーマに、30余名の作家それぞれが独自の解釈・技法により表現した作品を展開」(下記本展ホームページより引用)したというこの展示は、現代アーティストならではの自由な発想と、退廃観のようなもので満ちており、大変面白い展示でした。

 参加アーティストは、

【平面】味戸ケイコ、東逸子、イヂチアキコ、小川香織金子國義、北見隆、黒木こずゑ、寒河江智果、新宅和音、高田美苗、たま、友沢ミミヨトレヴァー・ブラウン、中村キク、七菜乃、西塚em、丹羽起史、長谷川友美、深瀬優子、森ヒロコ、山本タカト
【立体】清水真理、垂狐、高齊りゅう、衣、陽月、ホシノリコ、三浦悦子、村上仁美、森馨吉田良、Chong Yang-Hee、Kim Yoon-Ok、Sera、Shin Jung-Mi、 Sooya、 Ji Hye-Jung

(下記本展ホームページより引用、敬称略)

です。

 ギャラリーであるため入場料も無く、広すぎず、Bunkamuraの正面入り口からも近く、気軽に訪れることができる展示でした。実際に、若い来訪者も多く見受けられました。

 「アリス」というテーマ故か、参加しているのは多様な作家さん方である筈なのにも関わらず、少女、毒、不気味、生命、崇高、可愛らしさ、悲しさ、儚さ……といったような空気が共通して全体的に漂っており、不思議なまとまりのある展示でした。

 どの作家さんの作品も大変素晴らしい上に筆者好みだったのですが、筆者の力不足で全員の作品の感想を述べることができないので、特に印象深かった作品について少し触れたいと思います。また、以下の感想は、素人である筆者の個人的なものなので、紹介する作品だけでなく、全ての作品を会場で御覧いただくことをお勧め致します。

 作家様のお名前の後ろには、基本的にTwitterのアカウントを記させていただいております。展覧会は撮影禁止でしたが、ご自身の作品をTwitter上で紹介されている作家さんも多いので、是非ご参考くださいませ。

 

森馨さん(@kaoru_mori)『制服アリス』

 制服を着たアリスの球体関節人形です。本展にはいくつかの球体関節人形が展示されていたのですが、森馨さんの『制服アリス』は、その中でも一際印象に残る作品でした。他の作品の西洋的なお顔に対し、森馨さんのお人形は少し東洋的で、お顔の作りや佇まいはとても美しいのですが、消え入るようなか細さや虚ろな「無」の気配を放っているような気がして、それがとても素敵だと感じました。森さんのTwitterやブログで他の作品も拝見しましたが、その雰囲気はどの作品からも共通して感じられるように思います。

 

友沢ミミヨさん(@mimiyooo)『アリス?』

 友沢ミミヨさんの作品は、中野ブロードウェイのお店「タコシェ」さんの看板等で存じ上げていたのですが、今回の展示の中で一際異彩を放っていました。サブカル界の大御所のような方で、作品から漂うオーラはやはり格別だった気がします。毒があるのに、本展で一番可愛らしいアリスでした。友沢ミミヨさんにはこたおさん(@KKKOTAO1)というお嬢様がいらっしゃり、やはり芸術の道を進んでいる現役芸大生で、しかも元アイドルという経歴の持ち主。お二人は「とろろ園」というユニットを組まれ、3/9からBillikenGalleryで親子展を開催するとのことです。

 

トレヴァー・ブラウンさん(@_babyart)(作品タイトルを忘れてしまいました……)

 筆者はサブカル・アングラが好きではあるのですが、直接的な気持ち悪さのある表現はあまり得意ではありません。本展におけるトレヴァー・ブラウンさんの作品は、そのような要素も多々含まれており、筆者の苦手なモチーフも使用されているのですが、全体的な柔らかい水色と桃色の色味が、その気持ち悪さを和らげ、良い意味で刺激の弱く、「少女」味の強い作品になっていました。大きな作品なので、近くで一つ一つのモチーフを鑑賞したくなりますが、一歩離れて作品の全体を眺めると、髑髏のモチーフが浮き上がってくるのも面白かったです。

 

中村キクさん(@kiku_na)『月夜』

 この作品は、何よりも全体の色味が上品!細かいタッチの多い作品ですが、一つ一つのモチーフが主張することがなく均一で、それ故に見ていて穏やかになる作品でした。作品の大きさとその繊細さが、我々を作品世界にすっと引き込むのですが、中村キクさんの作品にはそれによる疲労感を一切感じさせず、寧ろ落ち着いた気持ちにさせてくれます。

 

黒木こずゑさん(@mitsuami_chan)

 黒木こずゑさんの作品は、どれもお洒落で、御伽噺そのもののような世界観の作品でした。凝った額も、その童話性を強めており、小さい作品ではありますが、たっぷりの物語を含んでいるような印象を受けました。骨董品の山の中から見つけた古い絵本をそっと捲ったような作品達です。

 

深瀬優子さん(@fukaseyuko)

 勿論本展のどの作品も素晴らしく優劣をつけるなんてもっての外ではありますが、深瀬優子さんの画風は、筆者にとって最も好みのものでした。絵のタッチに癖が無く、画面全体もあっさりとした構成なのですが、人物の表情とデザインがとても可愛いらしいのです。深瀬優子さんの描く人物は、先述した森馨さんとも似たような空虚感を放っています。絵自体は可愛らしいモチーフで溢れていて、登場する人物等の生き物からも木のおもちゃような親しみが感じられるのですが、そこに内包された「無」がどことないもの悲しさを感じさせます。

 

東逸子さん(こちらも作品タイトルを忘れてしまいました……)

 幻想的で、美しい絵でした。非常に小さい作品なのですが、額を含めた一つの作品として仕上がっており、絵だけでなく、その額の造形もどこか宇宙的で繊細で美しいものでした。しきりとガラスの間にあり、すこし見にくいかもしれませんが、是非じっくり味わっていただきたいと思います。

 

丹羽起史さん(Twitterのアカウントは無さそうですが、FaceBookはされているそうです)

 本展で、最も不気味な作品達であったような気がします。女の子の絵や、部分部分は可愛らしいのですが、絵のそこかしこに不気味な「顔」が潜んでおり、それらの「顔」が作品の後味として残るのです。

 

 ◍清水真理さん(@shimizumari)『Alice in  merry-go-round』

 こちらもお人形の作品なのですが、お人形の美しさは勿論のこと、アリスのスカートの中のメリーゴーラウンドという構図があまりにも可愛すぎてとても印象的でした。メリーゴーラウンドの乗り物も、幻想的な生き物がモチーフとなっており、筆者は特に人魚に魅力を感じました。人形の完璧な美しさに対し、メリーゴーラウンドに人の手の気配が感じられるのも、作品にある種の幼さのようなものを漂わせ、童話性や夢幻性を強めていたように思います。

 

三浦悦子さん(@miura_etsuko)『エマ、ウッズのアリス』

 箱の中にアリスや食器、鳥籠等の様々なモチーフが収まっている、不思議で少し不気味な作品です。一つ一つのモチーフは乙女チックで可愛らしいのですが、アリスの過度に傾いた頭や、独立している手等がどことない違和感を与えます。アリスの釣り目も印象的です。

 

chong yang - heeさん (instagram:chongyanghee)

 こちらも人形作家さんです。人形の肌を、まるでキャンパスにように見立て緑や黄色を用いて彩色しているのにとても惹かれました。筆者には、その多彩さが、寧ろ退廃的な印象を与えている気がしました。肌に雑居する色味が、無機質な建物を覆う雑草を思わせ、我々に廃墟を連想させるのかもしれません。

 

村上仁美さん(@Hiiceramica)『Wanderland in Alice』

 村上仁美さんの、アリスのスカートと足によるカップアンドソーサーの作品も可愛らしいのですが、筆者は村上さんの陶器作品『Wanderland in Alice』を見た時、物凄い衝撃を受けました。本展示で、筆者が最も好きな作品です。そしておそらく、最もグロテスクで、最も醜い作品です。「アリスの中の不思議の国」、というタイトルの通り、「不思議の国」が、アリスの裂けた薄暗い腹部から覗いています。アリスは金色の乳頭を露わにした裸体を大きく仰け反らせ、体中に汗のような白い半濁の玉をびっしりと浮かべ、開いた口から「不思議の国」を吐き出しています。決して現実にはあり得ないその姿が、筆者にはとても人間らしく感じられました。

 

垂狐さん『鏡湖』(@suico_v)さAlice』

 無表情に立つ裸体のアリスのお人形なのですが、その白い肌には、青い血管がうっすらと透けており、四肢の先まで走っています。「人形」としての存在を一糸まとわず主張しているのにも関わらず、血管から放たれる生生しさが人形に温度を与えているように感じられました。

 

吉田良さん(instagram:doll_space_pygmalion)

 本展示で、最も躍動感と生命を感じたお人形達でした。人形作品は、本来「置かれる」という展示が主だと思うのですが、吉田良さんのお人形は、絵画の一部のように展示されており、「動き」――靡く髪や服――を与えられています。絵画のように展示されてはいますが、やはり人形は立体であり、その差異が人形に妙な現実味を与え、まるで作品の匂いまで漂っているかのような感覚を放ちます。

 

 色々な作家様の作品を観られる展示は、新たな発見も多く、とても楽しかったです。会場には物販スペースもあり、各作家様のお手製のグッズやポストカードや、関連書籍を購入することもでき、こちらも是非ゆっくり御覧いただきたいと思います。

 筆者がもたついていたせいで、本日が会期の終了ですが、お時間のある方は是非!

 

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――2019/02/27

 

 

「アリス幻想綺譚2019 アリスとファンタジーの普遍的概念」
 場所:Bunkamura Gallery
 会期:2018/02/15(金)~2019/02/27(水) ※休館日はホームページ等をご確認ください。

 

 

「アリス幻想綺譚2019 アリスとファンタジーの普遍的概念」

https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/190215alice.html

https://www.bunkamura.co.jp/gallery/

https://www.bunkamura.co.jp/index.html

(※Bunkamura様のホームページ上にリンクに関する記載が無く、また問い合わせフォームも見つけられなかったため、無断で、上から、展示「アリス幻想綺譚2019 アリスとファンタジーの普遍的概念」、Bunkamura Gallery様、Bunkamura様のページへのリンクを添付させていただきました。不都合のある場合は直ちに削除致しますのでご連絡くださいませ。)