備忘録としての生活記録

知識は無いけれど芸術が好きなコミュ障インキャ芋ブスヲタクの戯言

暇なのでチェッカーズについて語ってみる

  掲題の通りなのですが、初めて好きになった男性アイドル・チェッカーズについて、好きになる契機となったその楽曲について、少し綴ってみようと思います。チェッカーズは私の産まれる前に解散しており、ソースはネットや掲示板、感覚です。当時を知らない人間のただの戯言です。

 

  私がチェッカーズの曲を初めて聴いたのは、図書館で借りた『青春歌年鑑80年代総集編』の、「ジュリアに傷心」でした。当然、彼らのビジュアルもメンバーの名前さえもよく知らず、完全に曲のファンになっただけでした。耳残りの良いメロディと、ボリュームのあるコーラスに惚れ、やはり図書館で『COMPLETE THE CHECKERS 〜all singles collection』と『all ballads selection』を借りました。ベストは2枚組で、主に1枚目は芹沢さん&売野さん時代の初期、2枚目は自作曲時代(後期彼らが曲を自作していたこと、初期も多くのカップリング曲を自作していたことは後から知りました)の楽曲、という構成でした。当初2枚目は何となく耳に残らず、1枚目ばかりを聴いて、特に「あの娘とスキャンダル」と「星屑のステージ」がお気に入りでした。バラードセレクションについては、殆ど後期の自作曲で構成されていたのですが、借りたものの聴き返すことはありませんでした。

  ところがある日、久々にアルバムの2枚目を聴いてみると、なんか2枚目の方が色んな色の曲があって格好良いじゃん!となり、バラードセレクションも物凄くお洒落な曲ばかりじゃん!となったんですね。

  で、調べてみるとなんとアルバム2枚目は全部メンバーが作っている。さらにメンバーみんな楽器演奏をしている。徳永さんのドラムが物凄く格好良い。大土井さんはイケメン。郁弥さんは芸術センスが半端ない。鶴久さんは一人だけ行動がおかしい。みなおかチェッカーズシリーズは滅茶苦茶面白い。チェッカーズって最強の男性アイドルなのでは……という感じで深みにはまって行きました。

  さて、前置きが長くなりましたが、以下では、私がチェッカーズを好きになった理由の大部分を占める彼らの楽曲の魅力について語ってみようと思います。

 

◾︎芹沢さん&売野さん&康さん時代の素晴らしさ

  チェッカーズのメンバーは自分たちの音楽がやりたくて独立しましたが、私にチェッカーズにはまる契機を与えてくれたのは紛れもなくこのお三方であり、初期にも素敵な曲が沢山あります。「ギザギザハートの子守歌」を始め、力強く歪みのないメロディーや語りかけるような等身大の歌詞は、違和感無くすんなりと受け入れられます。有名なシングル表題曲だけでなく、「ムーンライト・レビュー50s′」や「LADY-M.をさがせ」などのアルバム収録曲も、王道ではないもののどんな人にも受け入れやすい楽曲であるように思います。個人的にもとても好きです。

  私は、このお三方の曲に、さらに良いスパイスを与えたのは、尚之さんのサックスと、高杢さん&鶴久さんのコーラスだと思います。前者については、当時のアイドルシーンでは少し珍しかったのではないかと思いますし、何よりも哀愁漂う尚之さんのサックスはある意味単調な楽曲たちに艶を与えているように感じます。私は楽才が無いので上手い下手は分かりませんが、音に色を与えられるのは才能なのだと思います。後者については、コーラスが入ることで、80年代のポップスにGSが混ざったような新鮮味が生まれているように思うのです。だからこそ、ライブや収録でコーラスが小さいと物足りない。

  初期は、馴染みやすい楽曲と他のアイドルには無いスパイス、そして、記述しませんでしたが、カップリングやアルバムに時々入る自作曲というバランスが、ミーハーなファンたちと、後にコアなファンになる方たちの双方を引き付けたのだと思います。

 

◾︎自作の楽曲の素晴らしさ

  チェッカーズの作る曲の素晴らしさは大きく2点で、1つはあまりにも仮面の多い郁弥さんの歌詞、2つはあまりにも雰囲気の異なる曲を作る4人のメンバーだと思います。

  前者について、「PARTY EVERYDAY」や「WのCherryBoys」のようにユーモアのある歌詞もあれば、「危険なNO.5」や「Gipsy Dance」のようにエロティックな歌詞もある。「眠れるように」や「Room」のように甘い歌詞もあれば、「100Vのペンギン」や「World War Ⅲの報道ミス」のように社会的な香りの漂う歌詞もある。どれも曖昧さが無く世界が完成しているのが好きです。紛れもなく郁弥さんはとんでもない才能を持っていて、この才能が無ければ、作詞家が1人しかいないチェッカーズは持たなかったと思います。郁弥さんは、グループに自分しか作詞家がいないことで、とても苦労されたんだろうなあとも思います。

  一方チェッカーズには、作曲家が4人もいました。凄いのは、同じグループなのにみんなバラバラの方向性の曲を作ること。

  まずリーダーの武内さん。多分1番ロックでバンドらしい音を作っていたのは彼だと思います。いつも海外の最先端の音を探していた、とインタビューか何かで見たように思いますが、確かに「Hello」や「TOKIO KONECTION」、「Smiling like children」のように、歌謡曲から遠い、洋楽にありそうな楽曲が多い気がします。武内さんが得意とする16分のリズムとカッティングギターがそう感じさせるのかもしれません。そしてやはりチェッカーズのリーダーに相応しく、「ONE NIGHT GIGOLO」を代表とし、チェッカーズのイメージによく似合うチャラく格好良い感じの楽曲が多いように思います。

  尚之さんは、クラシカルな曲が多いように感じます。「Blue Moon Stone」や「QUATRE SAISON」など、お洒落な曲が多く、音楽的なセンスが1番あったのは彼じゃないかと思います。 また、郁弥さんが何かの記事で言っていたようなのですが、尚之さんは同じメロでも1番と2番で微妙に変えてくるそうで、音楽家としてのこだわりも感じられます。鶴久さん曰く、鶴久さんはオーディションに何十も持ってきてやっと1曲認められる一方、尚之さんは1曲や2曲の持ち込みで合格する才能を持っていたそうです。彼の曲は、1発聴いてしっくり来る曲よりも、何回も聴いてじわじわと良さが分かる曲の方が多いように感じます。だからこそ、彼の曲が多いバラードセレクションの良さが分かるまでに時間がかかったのだと思います。(こちら、ファンの投票で収録曲が決まる企画で、送る会の騒動直後のためアブラーズファンが奮闘した故の曲目なのだそうです。掲示板情報ですが。)

  鶴久さんは、後期チェッカーズを唯一大衆に寄せることのできた貴重な存在だと思います。彼は当時の流行歌や好みの曲を参考に(本人曰くパクって、と言っても言われてみれば…程度ですが)曲を作っていたそうですが、曲を流行に寄せられるのも紛れもなく才能であり、彼の作る何処かで聞いたようなキャッチーなメロディーが無ければ、チェッカーズは違う進み方をしていたように感じます。ただ、その分彼の曲はチェッカーズ全体から見ると浮いています。(鶴久さん本人も、他のメンバーから少し浮いていたような印象を受けます。他のメンバーにどこかしら不良っぽさがある一方、鶴久さんは普通の人っぽくて、なんだかチェッカーズらしく無いように見えます。)鶴久さんの楽曲は、リーダーを先頭に最先端の音楽を求めていたチェッカーズの音と比べると新しさはあまり無いし、尚之さんの音楽性と比べると少し陳腐です。しかし、「夜明けのブレス」や「ミセスマーメイド」、「Jim & Janeの伝説」を始め、チェッカーズファン以外の人を惹きつけたのは彼の曲だと思います。

  最後に大土井さんですが、彼の曲はチェッカーズにとって1番の変化球だと思います。「ガチョウの物語」「あの娘とマッシュポテト」「ACID RAIN」など、普通の歌謡曲・ポップスという枠から見ると斜め上すぎて、しかしちゃんと理解できる楽曲です。大土井さんの曲で1番有名なのは「I love you, SAYONARA」かと思いますが、これにしたって、サビでぐいっと立ち止まらせるリズムは王道Jポップとは言い難いように感じます。彼の楽曲こそ、後期チェッカーズのスパイスだと思います。

  

  本当は、メンバーのこととか、ライブ演出のこととか、まだまだ語りたいことはあるのですが、もう既にかなりの長文になっているのでこの辺にしておこうと思います。

  今思えば、私が初めてチェッカーズを見たのは、送る会の騒動で、当時の報道はぼんやりと憶えています。その時はこんなにはまるとは思いませんでしたが。

  7人のチェッカーズはもう見られないからとメンバーのソロコンサートやイベントにも行きましたが、それはそれで楽しかったけれど、私が好きなのはそれぞれのメンバーではなくチェッカーズなんだなあと実感しました。

  正直時々、チェッカーズが解散していなければ、とか、30年前に産まれていれば、とか思います。彼らの残した音楽は今でも聞けるけれど、当時の空気を知れないのは、少し寂しいです。

 

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ーー2020/03/25