備忘録としての生活記録

知識は無いけれど芸術が好きなコミュ障インキャ芋ブスヲタクの戯言

村上友晴展ーひかり、ふり注ぐ:目黒区美術館:~2018/12/06

 村上友晴展~ひかり、ふり注ぐ:目黒区美術館

に行って参りました。

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 村上友晴氏の作品は、キャンバスや画用紙に油絵具をペインティングナイフで乗せていくものや、画用紙の表面をニードルで削ったものなどが特徴的です。

 ……といっても専門的な知識が無いので、どの作品がどのタイプか曖昧なのですが……。

 

 村上氏は、墨の表現に興味を持ち、大学時代は日本画科で学んだとのことですが、墨へ惹かれたその嗜好故なのか、その経歴故なのか、全体的に日本的なもの悲しさを感じる作品が多かった印象です。

 

 彼の、絵具をペインティングナイフで削る、という作風は、とても抽象的で感情的であるようにも思われますが、その実は、それだけではなく非常に論理的で計算的な面も内包していました。『無題』と称された、黒の油絵具をペインティングナイフで乗せた複数の作品がありますが、これらは一見皆同じような作品に見えるものの、一つ一つの絵具の粗さが異なっており、その粗さによって鑑賞者に与える印象も異なります。粗いものは、どこか暴力的で、こちらが飲み込まれてしまうような恐怖感を抱かせます。粗さが取れれば取れるほど、暴力性がどこか悲痛な叫びになり、叫びが悲しさになり、……と、一層静謐さを増していくような気がしました。また、このタイプの作品は影がぼこぼこしているのが面白いです。また、画用紙が土台の作品は、正面から見る凹凸感と横から見る薄さのギャップが面白い!

 

 画用紙を削っていくタイプの作品は、息を潜めて鑑賞しないと崩れてしまいそうな繊細さでした。しかし、『マリア礼拝堂』が、寧ろ穏やかで大らかな印象を与えていたことは不思議です。これらの作品は額に入っているものが多いのですが、その表面の硝子に映った自分の顔と作品が溶け合って、いつのまにか意識が自己の内面に向かっていくのがとても興味深く感じました。紙による作品は、紙の辺が繊維を残すようにカットされており、そちらも作品の繊細なイメージを助長していました。

 

 では、特に印象深かった作品を具体的に挙げていきたいと思います。

 

 一階のエントランスホールには、本展最大サイズの作品『無題』が飾られています。こちらは、一歩引いて全体像を眺めると、中心に大きな花が咲いているように見える不思議な作品でした。非常に力強く、明るく前向きな印象を抱かせてくれました。

 

 『十字架の道』や『イコン』等の作品が飾られている間は、コンクリートがむき出しの部屋で、それが村上氏の作品とこの上なくマッチした空間を作り上げていて、何と素晴らしいこと!先日ロシアを旅行し沢山のイ͡コスタスを見てきた筆者には、その時の教会の様子と目の前に広がる空間がリンクし、作品達がキリストや聖人達に見え、神聖な教会の中にいるように思われました。

 

 そして、筆者が一番気に入ったのは、黒の油絵具をペインティングナイフで乗せたところに、小さな赤い斑点を落としてある作品でした。その赤い斑点は、近くで目を凝らさなければ判別できないほど小さく散らばっています。近くで見るとそこに生々しく悲痛な叫びがあるように思うのですが、作品を遠目でみると、ヴェールを纏った様に生々しさが身を潜め、その斑点達が非現実的な黒い霧の中で群れを成してぼんやりと浮かんでいるように見えるのです。 

 

おまけ

 基本的に、展覧会で気に入った作品に出会うと必ずと言って良いほど図録を購入する筆者ですが、今回は村上友晴氏の作品の生の質感が忘れられず、どうしても購入することが出来ませんでした。

 その代わり、とっても可愛いGeorge Nelsonのポストカードを衝動買いしてしまいました!

 

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ーー2018/11/08 

 

 
「村上友晴展-ひかり、ふり注ぐ」
 場所:目黒区美術館
 会期:2018/10/03(土)~2018/12/6(木)

mmat.